sukerokuのアーリーリタイア(を目指す)記録

アーリーリタイアをする資産は一応あるが、色々なしがらみや心理的なハードルから思いきれないでいる半端モノの記録

自己紹介 2

 

自己紹介1でざっくりとリタイアを考え始めた動機について書いたが、もう少しこれまでの経緯を振り返ってみたい。

 

就職したのは1990年代半ば。当時はまだバブルの余韻があって(株価は随分と下がっているにも関わらず)、昭和の雰囲気がまだまだ漂っていた。

 

外資系」に就職する=すぐに首を切られる、という偏見が強く残っていた時期で、外資系に行くのは国内の大手企業に就職できない連中か余程の変わり者だけだと思われている時代。それが10年後には全然違う様子になるので世の中の移り変わりは本当に速いものだ。今はコロナ一色だけど、5年後にはすっかり忘れてるだろう(SARSとか9.11とかもう忘れてるし)。

 

私は人文系の大学出身なので経済や法律には疎いはずだが、大学で経済学を学んでいたので(経済学部の人ほど本格的ではないと思うがそれなりに一所懸命やっていた)、珍しく金融業界に興味を持っていた。

 

なぜ金融かというとそのスキルが移転可能だから。当時はまだ会社に勤めたら一生そこで勤め上げるというのが常識的であった。私も外資系に行くほどトリッキーなタイプではなかったけど、なぜか一生同じところに勤めるという選択肢はないと思っていた。だからこそ移転可能なスキルを身に着けてどこでも働けるようにするということを最重視していた。

 

商社やマスコミなども人気だったけど、「移転可能なスキルを身に着けて自由に生きる」ということを目標にしていたので金融が一番よかろうと思い、銀行(都銀、長信銀)を中心に就職活動した。

 

今思えばその当時の自分がなぜ「自由に生きる」ことを目指していたのかよくわからない。どういう影響を受けたのか。当時の学生でそこまで考えている人は殆どおらず、多くの学生はまだ大企業に勤めて一生勤め上げることしか考えていないようであった。高校生・大学生の頃によく読んだ本に影響を受けているのかもしれない。

 

会社の研究など所詮は学生が行うものだから超適当であったが、それでも「自由に生きる」という目標を持っていたことは強かったと思う。金融業界から内定はもらったが、あまり考えず当初の第一志望の長期信用系の銀行を断って、何となく生命保険会社に行くことにした。

 

このあたりの自分の判断はかなりいい加減。だけど、その選択肢が良かったかどうかというのはその時点では判断できないものだ。その後振り返って初めて言えるだけ。その選択肢に良いも悪いもない。その選択肢を取ったあと、良いもににするか、悪いものにするかその違いである。

 

結果的にこの選択肢は正解(の一つ)であった。なぜなら今の自分の状況に満足しているから。もちろん銀行に行ってもそれなりに努力して満足できる状態を作っていたと思う。むしろ今よりもっと良い状態だったかもしれない。なので、あくまで正解の一つだと思っている。

 

このとき生命保険会社を選んだのは本当にいい加減であった。両方内定をもらって生保は断ろうと思って歓迎会を無断欠席したことに(これは今から振りかえると非常識)とある先輩がすごく怒ったので、まずいことしたかなと思ったのがきっかけ。

 

もう一つの長期信用系の銀行はそちらの方が格上なので間違いなく来るだろうと高をくくっていたのか、そういう変なプレッシャーはなかった。結局そのあと生保のリクルーターと人事の人に呼ばれて、その場で相手の銀行に電話するように言われ、その場で断り、そのまま大学の先輩と無断欠席した歓迎会の代わりに食事に行った。

 

この件は暫く忘れていたけれども思い出すとこんな超適当な理由で就職先を決めてしまっていることに改めて自分で驚いた。

 

一応その時その時は一所懸命考えているのだが、後から振り返れば、過去の自分なんて未熟なものだ。それは自分が成長しているからという意味だけでなく、答えを知っている将来の自分から過去の自分を振り返るからだ。

 

決定的な意思決定(つまり将来をどうにも変更できない決定的な意思決定)というのはあるかもしれない。しかし多くの意思決定はニュートラルであると思う。その時点で決まっていることは殆どなく、その後どのように行動するかによって、その意思決定が良くもなり、悪くもなる。

 

自分の人生を振り返ると、もちろんある程度のターニングポイントはあったのだが、そのポイントそのものの重要性よりも、そのポイント以降に自分がどう行動したかということの方が大きな影響を与えていると思う。