「お金を持つ事で満足するのか、使うことで満足するのか?」この違いが大きい
お金をいくら稼いでもお金を使うこと、お金を使ったことを見せることが満足の源泉になっている人がいる。この満足は人から羨ましがられることによる満足。このような人はお金をいくら稼いでも満足することはできない。なぜなら使い見せびらかすということは行為だからである。行為というには都度その行動をとらないと満足できないということ。その満足は毎回の行動から来る満足である。
逆に、お金があることで満足(これは安心感に近い満足)できるということは状態の満足である。状態ということは行動をとらなくても、その状態にあれば満足するということ。お金があれば、その状態はずっと続くので、行為を取らなくても満足である。
この両者の違いはとても大きい。
もちろんどちらか100%ということはない。行為からの満足の大きい人でも状態で満足もするし、逆もまたしかり。しかしどちらに主軸があるかということが重要である。
僕は圧倒的に後者。お金はあるが、それを使うことよりも、「ある」という状態で結構満足できる。たぶん周りからはお金持ちには見えないはずだ。着ている服も普通だし、特段高い買い物をするわけでもなく、高いレストランで食事をするわけではない。車も自分のスタイル(車中泊)に合うという目的で国産車。
もちろん家賃や車を複数台(外車のキャンピングカー)持っているということや、ゴルフ会員権を複数持っている点においては多少のお金を持っているように見えるかもしれないが、いつでもリタイアできる程度の資産があるとは思わないだろう。
お金持ちというとどうしても「お金を使うお金持ち」のイメージが先行している。これは使うことが満足の源泉になっている人達でこの人達は派手に見える。
しかしその背後には多くの地味なお金持ち、つまり「お金を使わない、持っていることで満足するお金持ち」が多数存在している。比率は分からないが、後者のタイプの人の方が多いのではないだろうか?
お金があると思う安心感というのは凄いものがある。多少嫌なことがあったとしても、お金があるからと思うと不思議と嫌なことも乗り越えられる。いつでもリタイアできると思えば目先に多少の面倒なことを乗り越える力もでる。
元々僕は若いころからfuck you moneyを稼ごうと思っていた。つまり、上司にfuck youといっていつでも会社を辞められるだけのお金を持つということ。実際にそれだけのお金を持つと実はfuck you ということは少なくなる。
いつでもfuck you と言えると思うと言わなくなるのだ。
いつでもいける近くの観光地に行かないのと同じかもしれない。いつでも行けると思うから行かない。いつでも言えると思えば言う必要もなくなるものだ。
お金があることなんて殆ど誰にも言わないが、何となく知っている人からは僕の生活について不思議がられるが(お金をあまり使わないことに)、持っていることから満足を得ているので使う必要がないんだよね。
これが感情レベルで理解できるかできないかによってお金持ちになり続けることができるか、一時的にお金が入っても結局使ってしまってなくなるかが決まると思う。