sukerokuのアーリーリタイア(を目指す)記録

アーリーリタイアをする資産は一応あるが、色々なしがらみや心理的なハードルから思いきれないでいる半端モノの記録

差別化論(1)

大学受験までは差別化ということを考えることがない。特に日本の受験システムにおける普通受験(AO入試ではなく)の場合はなおさらそうである。(AO入試であっても大した差別化は必要とされないと思うが)

 

大学入試までは周りの人との差別化を考えるのではなく、周りの人と同じことをより上手にやることが重要になる。ここには差別化の発想は全くない。特に日本のように同調圧力の強い社会においては尚更である(コロナ禍においてそれが一層明らかになった。良い悪いは別にして)。

 

しかし大学に入ったあとは差別化が重要になる。高校時代までのように同じことを勉強することはなくなるので、同じことをより上手にやるという競争ではなくなる。それよりも自分は何をするか、それが周りとどのように差別化されて価値を出せるか、周りの人との違いをどうアピールできるかという点が重要になってくる。この変化にうまく適応できない人は結構多い。

 

僕は日本の教育システム以外には米国のそれを多少垣間見ただけなので、他の国ではどうかという点はあまり言えないが、米国の場合は日本に比べて少し差別化の要素が入っている。大学入試には共通テストはあるが、それ以外にも高校時代の成績、課外活動、そしてエッセイなどが考慮される。エッセイでは他の生徒と違いなぜ自分を採用すべきかということをアピールしていく必要がある。

 

日本で大学受験まで一所懸命やってきた人が躓く一つの要因がこの「差別化」の部分だと思う。

 

僕は大学生のころはそれほど差別化を考えることはなかったが、一番初めに考えたのが就職活動の頃である。マイナーな大学であったことでそもそも大規模大学の学生とは差別化されていたのだが、さらにどのように自分をアピールするべきかよく考えて戦略的に行動した。初期の頃、興味もないのに電通などに行って失敗したが、そこから本命の金融や商社などに行く際によく考えた。自分をどう人と違い、そしてそこに価値があるかをアピールするべきかということを。その結果、就職活動は基本的に楽勝であった(もちろんそれだけの原因ではないと思うが)。

 

日本の大企業を3年で辞めて米国のビジネススクールに行ったのだが、自分に少し身につい初めた「差別化」という考えが、そこで最も発揮できたと思う(これは別途書くが)。また自分の事だけでなく、子供の小学校受験でも差別化的視点が役立った(これも別途書く予定)。企業の戦略でも同じ。会社を経営するにあたって良く考えているのが差別化である。

 

同質化(人と同じことやる)ではなく、差別化という視点を取り入れることができたのが、自分がこれまで何とかうまくやってこれた一つの要因だと思っている。

 

長年同質化の価値観にどっぷりと浸かると差別化の発想を持つことは難しい。だが、この視点を持つことは人生において長期的に成功するためにはとても重要である。