お金持ちかどうかは自分の期待値との比較でもある
お金持ちというのは相対的な概念であることは何度も言っているし、自分でもかなり正しいと思っている。
相対的というのはつまり、お金持ちというのは同時代の他の人達と比較してということである。同時代の平均的な人よりもお金を持っているのがお金持ちであるということである。
1000万円という絶対額を持っているからお金持ちであるということでではない。仮に1億円でも同じこと。周りが10億円を持っていれば1億円は貧乏人である。
また同時代での比較が重要である。縄文時代の人間に比べれば現代の殆どの人は豊かな暮らしをしているが、時代をまたいで比較してもお金持ちとは言わない。
さらにお金持ちの相対性の考えを深めると、自分の期待値に対してもお金持ちかどうかは変わる。これも相対的。周りの貯蓄額が2000万円で、自分が1億円持っていた場合は、一般的にはお金持ちである。
しかし自分の期待値が10億円であれば、1億円を持っていてもまだまだお金持ちとは考えないだろう。この場合は客観的にはお金持ちであることを分かっているけど、主観的にはまだまだお金持ちであると思わない。
例えば僕の場合は世間的には十分なお金持ちである。これは単純に一般的な人の資産と比較すれば分かる。しかし自分ではお金持ちだとは思っていない。なぜなら自分のお金のターゲットはもっと上だからである。
これは必ずしも今の自分の資産額に不満を持っているということではない。十分に満足しているのだが、自分の考えるお金持ちの定義からすると、今の数倍の資産が最低でも必要だと考えている。
なぜなら自分のお金持ちの定義は、「いくら積極的に使っても使い切れないくらいの金額が安定資産の配当・金利から得られる状態」であるからである。これには少なくとも税引き後で1億円の安定利息、配当が必要。しかも自分の資産の全額を運用するのではなく一部を運用してそのような状態に到達すること。このように考えると主観的には50億円くらいを流動資産(土地ではなくということ)で持っていることがお金持ちの条件であると思う(あくまで主観的に)
だからと言ってその資産額を目指しているわけではない。別に今の資産の数倍を持つために積極的に努力しようとは思わない。今の自分で十分に満足だからである。
だから主観的には自分はお金持ちとは思っていないので(客観的にはお金持ちだとは認識している)、無駄にお金を使うこともしないし、生活は自分の資産の1/10も持たない人よりも質素かもしれない。