お金を使う満足とお金があることの満足の違いについて
お金があることで満足感、幸福度が増すというのは自分には当てはまる。
それはお金を使うことで満足するのではなく、お金があることで満足するような思考になっているからだと思う。
お金を使うことで満足する人はいくらお金があってもたりないだろう。お金を使うことで満足するというのは単に物欲が満たされるという面もあるだろうが、人に見せることで満足する面もあるだろう(羨望の的になることによる満足感)。
そのような思考回路をしている人はいつまでたっても満足することができない。なぜならその満足はピンポイントの満足だからである。つまり購入というのは行為であって、購入してしまえば購入は終わるので満足は減る。もちろんそれを見せびらかす満足というのはその後も多少続くであろうが、しかしそれも購入してしばらく経つとその効果は薄れる。
一方でお金があることで満足するというのは、お金がもたらす安心感のようなものである。これはお金を使うという行為ではなく、お金があるという状態による満足なので、お金がある限り継続する。
もちろん慣れるということは多少はある。お金がある状態が当たり前になってその状態に満足感を得ないということはあり得るかもしれない。しかしそのような人はそもそもお金があることで満足を得ているのではなく、お金持ちになったという行為で満足を得ているだけである。
自分で経験してみて分かるのだが、自分はお金を使うことによる満足よりも、お金があることによる満足の方を強く感じる。そしてそれは非常にパワフルで、多少嫌なことがあっても、「まっ、お金があるからな」と思えば心の平静が保てるのである。
もう10年くらいリタイアできるレベルのお金を保有しているが、それに慣れてその満足度が減るということはない。
お金があれば全て幸福かと問われるとそれほど単純ではない。日常生活において嫌なことはたくさんあるし、いつ何時も幸福ということはない。
しかしどんなことが起こっても「お金がある」というのは自分の中でしっかりとした土台のようなもので、心の安定に繋がっている。
この効果はお金があってかつ、お金を使うことではなく、お金があることで満足するという志向を手に入れた人しか分からないだろうなぁ。
お金持ちを目指している人が夢想するのは多くの場合はお金を使うことから得られる喜びであろう。「お金があれば幸せなのになぁ」なんて思っている人は、実際にお金があってもそれほど幸せを感じることはないかもしれない。むしろ新しい不幸を背負いこむかもしれない。
それはやはりお金を使うことに幸福を求めるからだ。お金があることに幸福を求めるなら多くの不幸は回避できる。100%ではないが、世の中のトラブルの多くはお金を起源としているし、またはお金で解決できることが多い。
お金がありながら、比較的普通の生活(もちろん平均より贅沢な生活をしている認識はあるが)を送っていると日々幸福を感じる。
これはやはり実際に自分がなってみたないと分からない心境かな。
どうやってこの心境に達したのはか自分でも分からない。若い頃は多少はお金を使うことによる幸福を求めたこともあったが、しかしそれでもお金がない時代からお金があることがもたらす心の平静については意識していたし、お金があればお金があるという状態が幸せをもたらしてくれるだろうなと思っていた。
しかし当時周りにはそのように考えているひとは殆どいなかったように思うな。だからあまり周りと話が合わなかった。
思考方法を変えるというのは簡単ではないので(感情がついていかない可能性があるため)、人に簡単にアドバイスすることはできないけど。