綺麗ごとを言いながらも結局経済(=お金)なんだよな
ここ最近のコロナで「経済か命か」なんてバカなことを言っているやつがいるけど、人間は結局お金なんだよ。
もちろん「今、死ぬかお金か」と言われれば「命」だろうけど、そんな究極的な二者択一の場面は実際には存在しない。
あくまで生きる前提があるので、そのためにはお金が最優先なのだろう。
どんなきれいごとを言っている人でも、大衆はお金優先である。余程お金持ちでない限り。
結局自分が年金をいくらもらえるのか、給与があがるのか、政治にそういうことを期待している。
コロナだってバカな国民は散々おあられて騙されているけど、これだけ煽っているのはこれでお金儲けできる連中がいるからということ。それが分かっていない。
原発でも同じ。反原発なんて言葉に引っ張られているバカな連中は分かっていない。反原発はお金儲けということ。
お金があればそれを賢く使うことで大抵のことは解決できる。100%ではないけど。
お金がなければ多くの事は他の手段で解決しなければならない。それは結構難しい。
日々思うのはお金があって良かったということ。
そしてお金を使うことで快楽を得るタイプではなく、お金があることの安心感で満足できる自分の考え方や性格で良かったという事。
いくらお金があっても使うことで満足を得たり、人にアピールしたりするタイプの人は大変である。
自分はそういうことには関心がなく、お金がもたらしてくれる安心感を重視する。
これは性格の違いなのか、短期的に変更できない考え方の違いかもしれない。
いくら頭で分かっていても、変更はできないだろう。
なのでお金を使うことで喜びを得るタイプであったら今のように満足いく生活はできていないかもしれない。
十分にお金がありながら、そこそこ質素に暮らすことの喜びは何物にも代えがたいね。
最近は自由に旅をしたり、ゴルフをしたり、山登りをなどしながらその喜びを感じる。
お金、時間、人間関係、思考の自由はとても大切で、その中でも特にお金は他の自由の基盤になるものである。