sukerokuのアーリーリタイア(を目指す)記録

アーリーリタイアをする資産は一応あるが、色々なしがらみや心理的なハードルから思いきれないでいる半端モノの記録

私立小学校への風当たりが強くてビックリ

 

ネットである有名人が自分の子供を私立小学校に入れたことを簡単なエッセイにしていたのが、そのニュースのコメントがひどすぎて笑ってしまった。

 

これだけ私立小学校にどこもを入学させる家庭への風当たりが強いなんて、本当に日本という国はマジョリティから上方から外れるとやっかみを受ける社会なのかと思った。

 

私立小学校に行く子供はおそらく同年代の10%もいないだろう。地方には私立小学校はないから東京周辺か関西周辺だけ。中学校に比べて通学圏内も狭いので、通学時間という面から物理的に対象となる家庭がそもそも少ない。

 

さらに年間100万円×6年間で600万円ほど公立の小学校と比べてかかるわけだから、経済的な面でも対象が少なくなるだろう。

 

しかし面白いのは私立小学校を否定している連中は殆どが私立小学校に子供を行かせていない人であるということ。自分が経験していないことを批判するのは単にステレオタイプ的にやっかみでしかない。

 

典型的な批判が私立小学校には多様性がないという批判。公立小学校には多様性があるのだろうか?そもそもここでいう多様性というのは何だろうか?

 

バカの一つ覚えのようにステレオタイプで批判している連中は自分が多様性という言葉で何をいいたのか分かっていないと思う。

 

「色々な家庭の色々な子供がいる」程度の認識でしかないだろう。しかしそのような定地における私立小学校と公立の違いはなんだろうか?おそらく私立はお金持ちばかりで、効率はお金持ちから貧乏人まで幅広くいるということだろう。

 

結局批判者の言っていることは非常に浅はかで、単なる経済的な多様性を言っているだけ。私立小学校に通う子供たちのことをお金持ちの家庭の子供たちと一括りにし、公立小学校に行っている子供たちを経済的な多様性の中で育つ多様な子供たちとしている時点でかなり低能であることを証明していると思う。

 

その程度の思考能力しかないから、ステレオタイプに従うことになるのだろう。自分が発している言葉がどんなバイアスがあって、どのように定義付けして言葉を使っているのか深く考えられない人達だろうね。

 

確かに私立小学校に行く子供たちの家庭は経済的に困窮していないだろう。だからと言って子供たちの多様性が失われることはない。色々な子供がいる。

 

公立小学校には貧乏な家の子供もいれば裕福な家の子供もいるだろ。だからといって子供の性格が私立小学校よりも多様性にあふれているのだろうか?

 

だいたい公立小学校の多様性を強調するようなバカは、自分が底辺である前提ではない。あくまで自分が平均以上であることを前提に多様性といっているのだ。経済的に底辺の家庭は選択肢がないので多様性とか言わないだろう。公立の多様性を強調する連中は、行こうと思えば私立もいかせることができるが、私立に行けば自分たちが底辺になるから、優位な位置にいられる公立にいたいのだ。だから公立を積極的に選んだということを言いたいだけ。

 

どの小学校に行ったら将来的に良いのかということなんて誰もわからない。そもそも小学校の影響がその子の将来にどの程度あるのかなんて誰にも分からない。個人的にはそんなことよりも子供が楽しく学校に行けているなら良かったと思うだけ。

 

その点において個人的には子供を私立の小学校に入れて良かったと思う。別に私立だから良かったという訳ではなく、入った小学校にある程度楽しく通ってくれたので良かったと思うだけ。これが他の小学校、公立小学校だったらだろうだろうかというのは想像してもあまり意味がない。経験しなかった他の人生を想像しても意味はない。

 

私立であれば学級崩壊といこともないだろうし、都心において人数が少なすぎて気の合う友達がいないということもないだろうと思って私立にしたがその選択はまずまず良かったのではないだろうかと思うだけ。

 

その選択によって6年間で600万円余分にかかったが、正直言って600万円なんて大した金額ではないので、600万円が余分にかかろうが、節約できようが個人的にはどうでもよい話しである。

 

こういうことは露骨に言うとルサンチマンの塊のようなひとには嫌がられるので直接言葉に出していうことはないが。学校でやってくれていることを考えれば年間100万円なんてかなりお得だと思うけどね。