マジョリティに安住している限り決してお金持ちにはなれない
お金持ちというのはその定義上はマイノリティである。
当たり前だが普通に「お金持ち」という時は同時代の他の人と比較する相対的な概念として言っている。
絶対的な概念や時代や場所の異なる人と比較して「お金持ち」と使うことはない。
例えば、江戸時代や縄文時代と比べるとおそらく今の我々はお金持ちだろう。食材も豊富だし、快適に生活できるし、平均寿命も長い。だけどそれは普通はお金持ちとは言わない。
またはアフリカの極貧の国の人と比べれば日本のほとんどの人はお金持ちだろう。だけど普通はそういう意味でお金持ちという言葉を使うことはない(日本人は恵まれていると言うことはあるが)。
普通は同時代の同じ国に住む人との対比で「お金持ち」という言葉を使う。
そしてその定義上、お金持ちは平均ではない。相対的に人口の10%なのか、20%なのか定義はないが、平均よりかなり上の方を意味する。
ということはお金持ちはその定義上はマイノリティなのである。
つまりみんなと同じというマジョリティ意識であれば絶対に到達できないことになる。
皆と一緒、平均的というところに安住しているような人はそこから抜け出せない。平均やみんなと一緒というのは安心をもたらす。しかしその安心の代償は、決してその平均から離れられないということ。
お金持ちになるということは平均から抜け出さないといけない。皆と同じことをしていてはダメなのだ。皆が肯定するようなことをしていては決してお金持ちになれないということ。
どこかで平均や皆と同じから脱却して勝負をしないといけないということ。
皆と同じように考えて、皆と同じように行動することが常になっている人は勝負をするタイミングでいきなり勝負はできない。普段からマジョリティと違う考えをもったり、行動をして準備をしていないとできないだろう。
普通に大学を出て普通に就職をして普通に結婚して普通に住宅ローンを組んでという皆と同じ常識に縛られている限りはいざというタイミングで行動を起こせないから、お金持ちにはなれないだろう。
皆と同じ意見を持つことで安心しているような人ではお金持ちにはなれない。
別にお金持ちにならなくてよい、平均で良いというならそれで全然問題ないと思う。その方が安心かもしれない。けどそういう人に限ってお金がないとか愚痴ったり、お金持ちをうらやんだりする。
そうでなく純粋にお金持ちになりたいなら、どこかで平均的な行動、考えから抜け出さないといけないとうこと。
周りから共感を得られるような意見を言って、そういう行動ばかりをしている人は余程の幸運が振ってこない限りお金持ちにはなれない。