sukerokuのアーリーリタイア(を目指す)記録

アーリーリタイアをする資産は一応あるが、色々なしがらみや心理的なハードルから思いきれないでいる半端モノの記録

自分で生活ができなくなった時点で安楽死するべきではないか?

 

垣谷 美雨さんの「七十歳死亡法案、可決」という本を読んだ。

 

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内容の批判は別にして思考実験としては面白い発想だと思う。

 

久坂部 羊の「廃用身」に似ているだろうか。思考実験としては。

 

これを読んで考えたけど、現代の高度に発達した医療では無理に生かすことが横行していると思う。人間が生きるということの定義が必要だ。

 

僕はそれは二十歳以上の人間であれば「自分で自分の世話ができる」ということだと思う。もちろんそこには程度というものがあるだろう。どこまで他社のヘルプを必要とするか。

 

その議論はさておき、やはり自分で自分の事ができなくなったら人間としては自尊心が保てない。そして何より周りの人が大変なことになる。

 

医療でなんとかできるなら良いのだが、医療ができるのは「生かす=心臓を動かす」ことでしかない。結局今の医療における生きることの定義は心臓が動いていることでしかない(ようやく脳死判定が出されるようになってきたが)。

 

だから生きているけど、全面的に他の人の助けが必要という状態が生まれてしまう。

 

昔であれば医療がそこまで発達していなかったので、他の人の助けが必要な時点で多くの人はそもそも死亡していただろう。

 

それが生かす(=心臓を動かし続ける)ことだけ技術が発達して、助けを借りて生きる(=自分で生活する)という部分に関しては全く技術が追いついていない。

 

もちろん今後は介護の技術も発達するだろう。しかしそれは思ったほど急激なものではない。徐々にだろう。

 

僕は個人的には全面的に人の世話にならないと生きていられないならいっそ安楽死させて欲しいと思う。そのように考える人はかなり多いのではないだろうか?

 

下の世話から全部を他人に委ねている時点で自尊心は保つことはできない。

 

そしてそれによって周りとの関係が悪化するのは避けたい。良い思い出は良い思い出として残したい。晩年の介護で良い思い出がすべて介護の悪い思い出に塗り替えられるのは避けたい。

 

とはいえ苦しんで死ぬのは嫌なので、安楽死が一番だと思うね。

 

医療費の問題も年金の問題もあるし、無理やり生かすことのメリットはない。

 

日本は高齢化社会の先頭を走っているのだから、安楽死をもっと使いやすい制度にすべきだと思うね。

 

家族から安楽死を言い出すのは難しいので、自分で生活ができなくなったレベルになったら基本的に安楽死というくらいの制度が必要だと思う。

 

無茶に聞こえるかも知れないけど、現実的な案だと思うね。