「集中できる」=「充実感」 リタイアしても集中する時間を作るのが大切
集中するということが充実感につながると思う。
一定時間集中すると、その集中から明けた時に充実感を感じることができる。
集中することは何でもよい。受動的でも能動的でもどちらでもいい。
ボーと考え事をしていて集中できるならそれはそれでいいのだが、普通はそうはならない。
例えば山登りは集中できる。一歩一歩踏みしめて、一歩間違うと大げさだが死ぬかもしれない。また疲れてくるととにかく目の前の地面しか見えなくなる。これも集中である。山登りをすると誰でも集中できる。これは強制的な集中。
ゴルフも同じ。毎ショット、どこに打とうか、あちらは危険だなどと考えて集中する。ただしその集中はショット事に途切れるので登山程の集中力は得られない。
釣りも好きだが釣りは魚が掛かった時にすごく集中する。その瞬発的な集中は山登りやゴルフでは得られない。しかしそれ以外の時間は集中できないで意識が拡散する。
同じ釣りでも堤防釣りと船釣りは異なる。堤防釣りは待ち時間が多いが、船釣りは釣れるポイントに連れて行ってくれるし、船が常に動いているのでより集中力が高まる。
本を読んでも、映画をみても面白いものであれば集中力を大いに発揮できる。
投資も集中できるかな。強制的ではあるが、損をしても得をしてもお金に関わるので。
例えば車の運転でも集中できる。いつもの道だと意識は拡散するが、初めての道だと集中する。
旅行が充実感をもたらすのは集中力が原因だと思う。普段と違う場所で違うもの見たり経験したりするから必然的に集中力が高まる。道を間違えないか、初めての場所で分からないことがあり不安だったりするのが集中力を生む。
哲学者サルトルは、第二次大戦中にレジスタンス活動を行って、追ってから逃げている時が一番自由であったと言い残している。
これは言いえて妙で、逃げるという行為は集中力を生む。だから充実感を得るのだ。追うと言う行為も同じ。
リタイアすると意識が拡散して集中する時間が短くなる。そうなると充実感が得られなくなって虚無感が襲ってくる。意識的にできるならいいが、そうでないなら登山のように必然的に集中する行動を起こすなど、1日のうちの一定時間を集中することに費やすことが重要だと思う。
そういえば、20代の頃とてもよく読んでいたコリンウィルソンの本でもこういう話をしていたな。
あらためてコリンウィルソンの本を読んでみたくなった。