人間万事塞翁が馬 心理学者加藤諦三さんの場合
良いことが起こればそれに調子に乗ることなく、悪いことが起こればそれをきっかけに良いことに繋がる可能性があると考える。
起こったことそのものは良いも悪いもなく中立であり、それをどうとらえるかその主観が良い悪いを決める。また仮にそのことが短期的には悪い結果を自分にもたらしてとしても、その後の自分の行動によってそれを良い結果に導くことは可能である。
このように考えるのは自分にとっては極めて当たり前で、自然にそのように考えることができる。
なので必要以上に楽観的になることもなく、悲観的になることもない。
もちろん気分の多少の上下はあるが、平均的な人に比べれば精神的に安定していると思う。
思い返せばこれまで不安や落ち込んで眠れないということは一度もなかった。
客観的にみればそれだけの不幸がなかったからと言われそうだ。確かにそうかもしれない。不幸のどん底を経験していないかもしれない。
しかし一方で自分は「人間万事塞翁が馬」だと思っているので、平均的な人であれば十分に落ち込む事でも落ち込まないのだという面もあるだろう。
日経新聞の夕刊の人間発見というコーナーで心理学者の加藤諦三さんの話がでていた。
加藤さんの話を読むに本当に「人間万事塞翁が馬」だなと改めて思う。
人間は年齢を重ねれば肉体的には大人になります。ただ精神が成熟するとは限りません。法律が定めた年齢になれば結婚できますが、幼稚な大人同士が家族になったことの悲劇も多く見てきました。
私自身もそんな親に育てられました。父を中心とした服従関係が厳格な家庭でした。私は小中学生のとき開校以来の秀才と言われましたが、試験で一番だったと報告しても「そんなレベルで喜ぶなんて恥ずかしい」と言われました。家では絶対的な存在だった父に否定され続けたダメージは大きく、それが社会心理学の研究や執筆などのライフワークにつながりました。
小中学生時代は勉強もでき、部活や生徒会にも積極的に関わるなど活発で目立つ子供でした。ただ、家では強権的な父から人格を否定され、大いに苦しみました。自分の家庭は普通ではないと思いながらも、高校までは親から離れられませんでした。終戦直後の混乱で貧困にあえぐ家庭もある中、親はしっかりした仕事に就き金銭的な不安はなく、周囲から見たら「よき家庭」に見えていたと思います。
完全に服従するわけでもなく、自立できているわけでもない。矛盾と混乱の中で思春期を過ごした私にとって、中学の時から「書くこと」が唯一の救いでした。ノートに自分の気持ちや考えたことを吐き出していました。精神を病みそうな環境で命を絶たずに済んだのは、紙とペンがあったからだと思います。
このような父親だったからこそ今の加藤さんがあるのだろう。
もちろんこの父親が良いとは思えない。所謂毒親であろう。もしこの父親でなければ加藤さんはもっと違う道で活躍していたのかもしれない。
しかし父親を交換することはできないし、与えられた条件の中で、一所懸命やるしかない。
加藤さんの場合は悪い環境を結果的に自分にとってプラスに持っていった例だと思う。
持って生まれた能力があったからそれが達成できた面もあるだろう。しかし勉強の才能がなくても、何か他の才能で同じように人生を好転できる可能性もある。
環境が変えられないなら与えられた環境でどのようにして自分の考えを柔軟にし、行動していくかということが重要だと思う。