sukerokuのアーリーリタイア(を目指す)記録

アーリーリタイアをする資産は一応あるが、色々なしがらみや心理的なハードルから思いきれないでいる半端モノの記録

父の生きる 伊藤比呂美

 

伊豆で5日間滞在して暇なのでkindleで読んでみた。

 


じっくりと読む本ではないが、まずまず面白かった。

 

二つの視点で考えさせられた

1.自分が老人になった時の視点

2.自分が親の面倒を看る時の視点

 

伊藤さんの父親(90近い?)が、しきりに「暇だ、退屈だ、することがない」と伊藤さんにぼやいているのが印象的。

 

やはりこのくらいの年になると体の自由もきかなくなって、退屈なんだろうなと思う。ただしこれはステレオタイプな視点であると思う。実際にそのような人は多いと思うが、自分はそういうステレオタイプな感じになりたくないと思う。

 

だからこそそうならないように早く引退して早く老後を楽しむ態勢に入りたいと思っている。老後が退屈、暇と言っている人は間違いなく目の前の事だけをやってきて、先のことを準備してこなかった人だと思う。

 

それを否定するつもりはないが、世の中の大半は目の前の事に一所懸命でそれ以上先のことを考える余裕がないのだと思う。とにかく目の前で起こることに反応して日々を暮らしている。

 

大学生の事も社会人になってからも周囲を見渡してそのように感じていた。一方で僕は自分が変なのではないだろうかと思うくらいもう少し先を見据えて考えていた。当時はそれは少数派だったので先を見すぎている自分が少し恥ずかしく思った。先の事を考えて準備するのは何か老成しているというか若者らしくない気がしていた。

 

今でも同じ。40代でリタイアを考えたり、リタイア後の人生について本気で心配しているのはちょっと早すぎるのではないだろうかと思っている。周りの人間はまだまだバリバリの現役である。だから同年代の知り合いにはそのようなことは言えない。上の人にも言えない(若いのに・・・と言われるのが分かっているから)。

 

しかし冷静に自分のこれまでの人生を振り返ってみると、周りの人に比べて圧倒的に先をみて準備することはプラスに働いた。その時はちょっと恥ずかしい気もしたのだが、振り返ればその準備は報いてくれた。むしろその時々で目の前のことだけしか考えていない人の方が今になって苦労している。

 

僕が見ているものが多くの同年代の人には見えないのだと思う。

 

僕はすでに気分は60代から70代である。だからこの本には「父」の立場で共感できる、というか「父」の立場になって考えることができる。良い反面教師としてもこの本は読める。多くの老人はこうやって退屈な日々をテレビをみて過ごして、それでも満たされない日々を過ごしているのだろうと思う。

 

さて、子供の視点で考えると、この本の伊藤比呂美さんは素晴らしいなと思う。もちろん心の中の本音まで書いていないし、いらいらして書きたくないときは書いていないのでそこはある程度割り引いて読む必要はあると思っている。

 

とは言え、これだけ離れて住んでいる父親の事を気にかけ、1日何度も電話し、結構な頻度でカリフォルニアから熊本まで帰省する著者は凄いと思う。それでも父親が死んだ後にはもっとできることがあったのではないかと悔やむ著者は素直に凄いと思う。

 

僕の親もまだ健在だが、近い将来両親共に他界する時が来るだろう。親がいない、実家が実家でなくなるというのは今の自分にはまだうまく想像できない。

 

だけどそうなったらそうなったで結構寂しいのだろうな。