sukerokuのアーリーリタイア(を目指す)記録

アーリーリタイアをする資産は一応あるが、色々なしがらみや心理的なハードルから思いきれないでいる半端モノの記録

お金がある幸せか、使う幸せか

 

お金がある幸せを感じられるか、それとも使うことで幸せを感じられるか。この違いがお金に関する幸せに大きな影響を与えると思う。お金があることで幸せを感じることができればお金を使う必要はない。お金があるという安心感は幸せに関係する。

 

実際に僕自身はお金があるということで日々嫌なことがあっても、将来の不安があっても、お金があるということで安心感をもっている。もちろん世の中どうなるか分からない。株の暴落も起こるかもしれないし、円の大幅下落も起きるかもしれないし、日本でハイパーインフレが起こるかもしれない。そういう究極的な状況では分からないが、しかしそうでなければ今あるお金で死ぬまで過ごせると思う安心感は何事にも代えがたい。

 

だからある意味思い切った方針を取れる。会社の既存の事業のいくつかを切り捨てるとか、場合によっては廃業にするとか、会社からの収入に依存していないのでそういう思い切った意思決定が可能だ。その方が会社の経営もうまくいくかもしれない。会社に依存して会社を残すことだけを考えるよりも。だから特にお金を使う必要はない。もちろん欲しいものはあるが、基本的にお金があるというだけで幸せを感じられるので、使うことは必須ではない。

 

一方でお金を使うことで幸せを得ようとする人もいる。単純にお金を使って何かを買うという行為が好きな人と、お金を使って周囲からの羨望の認知を得ることが好きな人に分かれると思うが、こういう人たちは常にお金にとらわれており、お金を稼がないとその幸せを保てなくなる。

 

こういう人は結構多い。傍から見ていてみていて大変そうだな~と思う。これは本人の努力ではどうしようもないのかもしれない。もともと備わった素質かもしれない。それでも「お金を使うこと=幸せ」という自分の中に組み込まれたロジックをどこかで破壊しないと一部の大金持ちを除き、不幸だろう。お金がなくなれば不幸になるし、お金は無尽蔵ではないからだ。

 

お金があることで幸せを感じるというのは、可能性で幸福を感じるということでもある。

 

僕はだいたい可能性だけで幸せを感じる方なので経済的である。つまり、ベンツもフェラーリも買おうと思えば買うことができる。だからその可能性だけである程度満足なのである。実際に買うかどうかは別の話である。

 

またどんな高級レストランだって行こうと思えばいつでもいける。だから誰かがそういうところで食事していたとしてもそれほど羨ましいとは思わずに済む。行こうと思えば行けるのだから。

 

雨の日はタクシーを使って移動することもできる。その可能性を常に頭にいれつつ、電車や徒歩で移動する。そこの悲壮感はない。なぜならいつでもタクシーを使えるのだから。実施に自腹でタクシーを使うのは月に1回もない。年に数回だけ。

 

お金を残して亡くなった人を(もっと生きている間に使っておけば良かったのにと)残念がる人がいるがそれは違う。その人はお金があるということで安心感、幸福を得ていたのだ。

 

お金があることから得られる安心感、それに基づく幸せは、元本が減らない利息みたいなものである。お金がなくてしんどい思いをしながら死ぬよりも、お金があって安心して死ぬ方が余程安らかに死ぬことができる。

 

僕は自分の資産を全部使い切って死ぬつもりはない。たぶん多くを残して死ぬだろう。

 

それは子供に残したいということだけではなく、お金があるという安心感と幸福の中で死にたいということ。