仮想通貨急伸
昨晩から仮想通貨が急伸。
特にビットコインが大きく伸びてきた。
まぁ予想通りと言えば予想通り。チャートの形から調整を予想する声もあったが300万円台で踏みとどまっていたことを考えると十分ありえる状況。
そもそもビットコインは供給量が決まっており、その中で一つのアセットクラスとして認知され始めているので需給の関係からいうと上がる傾向にあるのは間違いない。
ただし本質的な価値というものはないのでそこが怖いところ。これは政府の発行する法定通貨と同じだが法定通貨は一応政府が信用を与えているが、仮想通貨の場合は参加するメンバーが信用を与えているという構造なのでその点が弱い。
12月に200万円をやっと超えたことを喜んでいたらあっという間に500万円目前。
この間に仮想通貨全体の時価総額が1億円くらい増えた。
しかしそれでも総合課税なのでうまみは少ない。最大55%の税金がかかるので。
米国や主要諸外国では無税かまたはキャピタルゲイン課税の20%とのこと。日本は本当にこういう部分がダメだな。
2017年頃には仮想通貨で日本が圧倒的な存在感をもっていたのに変な税制のお陰でそのチャンスを逃してしまった。
仮想通貨の売買で儲けたお金を消費や投資に回せば経済が回るのに、政府の無駄&非生産的なな支出に回されることになるとは、、、。
将来のことを考えると真面目に日本に居住し続けるべきか再考しないといけない。
70代になれば別だが、50代、60代はまだ元気なのでどこかに移住することも要検討かな。どこかで大学教員をしながら生活するのも悪くない。
仮想通貨は今年中に一旦手仕舞いする予定なので節税という観点では全く効果はないのだが、普通のインカムゲイン、キャピタルゲインも課税ゼロの国もあるので、豪遊できそうだ。
基本的に殆どの仮想通貨でプラスになっているのだが、唯一BCHだけが超高値で掴んでいるのでまだ大きくマイナス(この段階でも簿価に対して1/3程度!)。2017年に一部をBTCからBCHに乗り換えた判断が大失敗。この判断は数千万円の機会損失かな。それから2017年から2018年に小さいアルトコインを買ったのも失敗。
記録を見るとBTCを初めて買ったのが2017年の1月。知り合いから聞いて気になって大学院でブロックチェーンの技術に関する本を輪読して興味をもって少し買い始めた。そのころの価格は10万円程度。それでも5万円から10万円に2倍に値上がりしていたので躊躇した。
そしたらあれよあれよという間に20万円くらいにまで値上がり。5月までに1200万円程度を購入。この時点で65BTCなのでそのまま持ち続けていたら3億円になっていた計算!たらればを計算するのは精神衛生上よくないのでやめておこう。一度BTCが急落したときに売却し、また高値で買い戻したり、BCHに乗り換えたりと余計なことを色々としたせいで本来得られた利益から考えると随分と寂しくなったものだ。それでも利益が出ているので良しとしよう。
問題は売却戦略。今年中に全部売却しようと思うがどのタイミングで実行に移すかそれが問題。今のところ適度に指値を入れて徐々に売っているのだが、今のペースでは追いつかないので、どこかで思い切って残高をゼロにする必要がある。
それにしてもあらためて調べてみると仮想通貨に1億1300万円くらい突っ込んでいることを知って愕然とした。バカだな~。こういう無茶な投資をしているといつか大きく失敗すると思う。気を付けよう。まずは仮想通貨は安全にエグジットすることが重要。
久しぶりの講義
最近は講義することから遠ざかっていたが、今回は縁があって久しぶりに講義をしてきた。
30台前半の頃から大学、大学院やextension schoolなどで経営関係の講義をしてきたが、ここ最近は自分の博士論文作成が忙しかったりして定期的に時間を取られる講義の仕事は受けてこなかった。
久しぶりにやってみると中々良かった。準備はそれなりに大変なのだが、講義をすることで自分の頭の中も整理され、また受講生とのやり取りをすることで自分の頭も活性化される。
ここ最近はコロナで仕事も暇だし、新たな論文に取り組む気もしないので、講義をして普段と違う部分の脳を使うのは良いことだと思う。
人に教えるということは自分が学ぶことにもなるし、色々と刺激を受けるので単純に楽しい。
研究もいいが教育もいいなと再度認識した。リタイアして自分の会社を経営し続けるのもいいが、それはそれで大変なので、やっぱり大学の教員というのがいいかな。
できればどこか地方の大学や大学院で仕事を見つけてそこに移住するのがいいかもしれない。単に移住するだけで何もしなければ社会とのつながりがなくなる。1人でも全く平気な自分であるがそれでも全く社会とのつながりが無くなってしまうとたぶん寂しいと思う。
大学教員という社会的な立場を持ちつつ、自由きままに過ごすのは大変魅力ある選択肢だと思う。
最近の投資行動
最近は投資の方も暇。
投資に刺激を求めると失敗すると思っているので暇なのは良いことだと思う。
暇だからと言って余計なものに手を出すと失敗する。
しかしその誘惑はある。
ゲームストップ株や、マイクロストラテジーなどちょっとやってみたい気がするのだがその誘惑を抑え込んでいる。
また日経平均で遊びたいのだがそれもぐっと我慢。
リップルが急落した局面でも買いたかったのだが、それもぐっと我慢。
そもそも自分の投資スタイルだと毎日相場を見るようになるとダメだと分かっているのだがどうしても見てしまう。本当は1週間に1回程度でいいのに。。。
最近は仮想通貨の売却タイミングを計りつつ、新興市場への投資を継続的に進めている。
新興市場への投資額は簿価ベースで1.6億円くらいになった。昨年後半が1億円くらいだったと思うので結構急ピッチで残高を積み上げてきた。
利益が乗っているものが大半なのだが(それぞれまだまだ小さい利益)、売却するタイミングが非常に難しい。
利益を出して売却できれば良しとするという考え方もあるが、機会損失を考えると早く売りすぎてしまうのも後悔が伴う。
一度安く買った銘柄を売却して、再度高値で買うのも難しいしなぁ。
WEリーグ大宮・佐々木総監督 女子の1億円プレーヤー誕生を願う「子どもたちに夢を」
9月開幕の日本初サッカー女子プロリーグ「WEリーグ」参加にあたり、新設の大宮アルディージャVENTUSが6日、オンラインで新体制会見を実施した。総監督に就任した元なでしこジャパンの佐々木則夫前監督(62)ら新加入5選手が出席。初年度は選手25人でスタートし、佐々木総監督は将来的に“1億円プレーヤー”の輩出を願った。
「本当の理想を言うと、底辺なところからのスタートだと言うことは間違いない。ただ、子どもたちに夢を与えるということについては、もちろん男子のスポーツ界同様サラリーもどんどん上がっていって、みなさんに公表できるような数字になれば。そこ(1億円)は目指すところだと思う」
子供たちに夢をという話の時はほとんどの場合「お金」の話。お金が儲かるから夢があるよというメッセージはあまりにも安直すぎる。
お金があれば幸せなのか?と問われると、良識のある大人の回答は、「必ずしもそうではない。お金がすべてではない」ということだろう。お金がなくても幸せな人はたくさんいる。実感としても「お金=幸せ」ということではないだろう。
これには僕も同意。お金があっても不幸せ、お金がなくても幸せな人はたくさんいるだろう。ただし逆もしかり。お金があって幸せな人も、お金がなくて不幸せな人もたくさんいる。たぶん後者の方が多い。
僕はお金があった方が幸せになれる可能性は高いと思う。だからこの監督の言っていることを単に反対している訳ではない。ただし「夢=お金」ではないのだ。それだけ。お金が夢を与えるというのはあまりにも安直で、思考力のない人間の発言。お金がない人の発言だと思う。
たぶんお金のない人は、お金があれば好きなものが買える、好きなことができる、だから夢があるという発想なのだろう。それはお金があることの一面を表しているが、お金を使って自分の欲求を満たす人は大して幸せに感じられないと思う。
なぜなら常にもっとお金がとなるからである。もっともっととなると今あるもので満足できなくなる。世界一のお金持ちだってもっとお金をとなってしまう。
それよりも今あるお金でどう幸せに過ごすのかという方が余程精神的に健康的である。
子供たちに夢を与えるなら、1億円プレイヤーになれるよというお金の話ではなく、好きな事ができてそれで生活もできるそういうライフスタイルだと思う。単純に1億円=幸せという構造はあまりに単純すぎる。1億円があっても、お金を使って幸せになろうと思えばかならずもっと欲しいとなり、それが得られなければ自分を不幸せに思うだろう。
もう一つこの手の「子どもたちに夢を」のワンパターンが嫌いなのは、それで夢をかなえればいいけど、かなえられなかったらどうなるの?という発想が抜け落ちている点である。とりあえず夢だけ与えておけばいいのか?殆どの子供は夢は実現できない。特に1億円プレイヤーという夢であれば尚更、それは一握りなのである。
ということは99%の子供たちが夢を叶えられないのに、夢を見せることが重要と考えるのだろうか?結局こういう「夢を」とか簡単にいう人は大して深く考えていないのである。
子どもたちが自分で夢を持つのはいいと思う。しかしそれは他社から与えられるものではない。自分が子供に夢を与えるというのは傲慢な発想だ。
こういう大して何も考えずに、「子どもたちに夢を」という定型言葉で語るのがどうも好きになれない。
起業家とかもよく「社会を変える」とかほざいているがそれも同様にうっとおしい。勝手にお前の都合で変えるなと言いたい。
4回目のゴルフ -> ソロキャンプ
同じキャンプ場へ再び。
今回も房総の下の方の花生カントリーというところでゴルフをしてからキャンプ場に向かい。
今回は天気は良かったが思った以上に強風で疲れた。やはり冬は5M級の風の時はダメですね。キャンセルすればよかった・・・。
この風の中でキャンプ場も案の定風が吹いており、山に囲まれた立地のお陰でそこまではひどくなかったけど、気温以上に体が冷えた。
翌日もゴルフの約束があったので、朝6時半には退散。
今回のキャンプはちょっと辛かったかも。
ソロキャンプは今回で5,6回目だが、徐々に効率的にやる方法が分かってきた。
今回もまたアイデアが湧いた。以前は焚き火料理とガスコンロ料理を分けていたが前回から焚き火料理に一本化。すると片付けがかなり楽になった。
それをさらに進めてアルミで包まなくてよい料理に切り替えるアイデアを主についたので次回はそれを実現しよう。ただしもう少し暖かくなってから。
キャンプ場でのんびりしながら焚き火の火を見て音楽をかけてゆったりと過ごす時間は何物にも代えがたい。
浅草演芸ホールへ
今日は浅草演芸ホールにいってきた。
50歳近くになって寄席に行くのは初めての経験である。
同じことばかりを繰り返すのではなく、何か違う経験をすることで自分の幅を広げようという考えのもと、前日にふと思い立って訪問。
11:40開演なので、それまでは浅草のスタバで仕事や資料作成をしてから向かう。何か生産的(と思っていることを)やってからでないとこういう無駄な時間の使い方ができないのが自分の課題である(リタイアに向けての)。
ある程度作業をしたところで精神的に安心できたので、ゆっくりと寄席を楽しむことができた。
コロナということもあり始めはお客はまばら。一階の客は10人程度だっただろうか。徐々に人が増えてきて、演芸ホールを後にした3時半頃には30人くらいはいただろうか。
あまり落語には興味はないのだがTVで見るよりもやはり生の方が楽しめる。落語家の話し方が耳に心地よく中身はともかく、抑揚のある話し方を聞いているだけでそれなりに楽しめた。
いつまでいてもいいのだが、一度出ると再入場はできない。飲食の持ち込みは自由。
頻繁に行きたいとは思わないがそれなりに楽しむことができた。
コロナのタイミングで空いているので寄席に限らず、こういう演芸ものをこの機会に経験するのは良いだろう。
45歳で年収600万円。堅実に老後資金を貯め続けた女性の「残念な末路」
何かすごい逆転の発想が得られるのかと思いきや、全くそうでもなかった。
このままでは「2年半タダ働き」することになる。そう、エリザベスは生きているうちに使い切れない金を稼ぐために、こんなにも長い時間を費やしたのだ。週50時間労働で計算すれば、2年半以上にもなる。言ってみれば、2年半タダ働きしたのと同じだ。人生の貴重な時間とエネルギーを、もっと他のことに使えたかもしれないのに。
だが実際には、これらの人々は13万ドル以上の資産を残して天国に旅立ってしまう。時間給や年収が高い人ほど、働き続け、稼ぎ続けたいという誘惑に駆られやすいからだ。結局、人生の貴重な時間やエネルギーを無駄に使ってしまう。
だから、エリザベスの例より収入が高い人にとっても、低い人にとっても、私からのメッセージは同じだ。
ゼロで死ね。生きているうちに金を使い切ること、つまり「ゼロで死ぬ」を目指してほしい。
メッセージは全く分からないでもないけど、結局いつ死ぬかも分からないし、そもそも安心して生活できるというお金があるメリットのことを軽視している。
年をとってからあと100万円しかないと思って生活するのはしんどい。まともな働き口もないし。
80歳の時点でもあと貯金が1000万円あり、基本的に年金だけでも暮らせると思えば随分と安心感を持って暮らせるのではないだろうか。
だから貯金ゼロで死ぬ必要は全然なく、貯金を残して死ぬことは決して無駄ではない。
貯金から安心を得ているわけだから。
何億円も残して死ぬ必要はないかもしれないが、子供たちに残してあげてもいいし。
「DIE with ZERO」というコンセプトを広めようとしているだけだと思うが、全く共感できないな。共感する人は是非やってみてもらいたいね。