sukerokuのアーリーリタイア(を目指す)記録

アーリーリタイアをする資産は一応あるが、色々なしがらみや心理的なハードルから思いきれないでいる半端モノの記録

中途半端に仕事をするのは逆にしんどい。自分は半端ものだなぁと痛感。

 

なんかこう中途半端に仕事が入ってきたりして面倒だ。

 

はやく完全リタイアしたいなぁ。

 

金銭的には問題ないのだが、まだ色々としがらみや責任を回避できていない。

 

加えて自分の中にある「この年齢で完全リタイアしていいの?」という疑問との闘いがある。

 

仕事と言っても通常は定例会議にオンラインで出ること(合計すると1週間で5時間くらい)と年に2回程度の大学院での講義くらいなのだが、そこに別の不定期に仕事が振ってきたりする。

 

これが非常にやっかい。別に難しいというものではないのだが、単に面倒。やる気がないのに自分に鞭を打ってやるというのは非常に疲れるものである。

 

加えて定例会議も面倒。その時間に必ずオンラインに繋がらないといけないという制約がうっとおしい。内容は大したことはないのだけれど、そういう時間的な制約が本当に嫌だな。

 

早く完全リタイアしたいのだが、一方でやはり自分の中には常識的な考えがいて、「この年齢で完全リタイアとは恥ずかしい」という気持ちがある。

 

よくよく考えるとこれはおかしな話で、この年齢でリタイアできるなんて成功者の証ではないだろうか?

 

なぜそれを恥じる必要がある?論理的に考えるとその通り。あとは感情がついていくかどうか。

 

「完全リタイア=何も情熱の対象がない人」と周りから見られることを恐れているのだろうか?

 

であれば旅行、ゴルフ、山登り、雪山、釣り、読書など情熱の対象は多数あるから心配はない。

 

単に周りの目を意識しているというのもあるのだが、それ以上に自分自身の中に本当にこれでいいのかという葛藤がある。後者の方が大きいかな。

 

いくら論理的に冷静に考えるのが得意とは言え、こういう常識的な感情を払拭するのは結構大変だ。

 

僕が現在70歳、少なくとも60歳であれば完全リタイアすることに躊躇はないだろう。もう年だし世間の目も厳しくないし、何より自分の目が厳しくない。

 

しかし50歳を前にしてという感情はなかなか払拭できないなぁ。

 

これまで色々な常識と戦ってきたし、むしろ常識的なことを嫌って普通の人と同じではないことを多少なりともやってきた自負はある。

 

しかしそれらはどちらかというと普通の人の価値観でいうと普通の人のライフスタイル(普通に会社に入って勤めて、家族を持って、住宅ローンを抱えて、色々と会社・家族の愚痴を言いながらウダウダする)の上を行くものであった。

 

が、完全リタイアというのはもちろんある程度成功したからできるのであるが、ライフスタイルとしては普通の人の上を行くというよりは、全然別の種類のものである。

 

明らかに「上」であれば何の躊躇もなくできるのだが、、、、。

 

この年になって、この環境においてもまだそういうしょうもないことを考えている自分が情けないという気がするが、偽らざる気持ちである。

 

それにしても中途半端に時間拘束をされ、中途半端にやる気が必要な仕事は本当に面倒だな。

 

今年か来年にはスパッと仕事を断ち切って、一度何もない位置から再スタートを切りたいものだ。