sukerokuのアーリーリタイア(を目指す)記録

アーリーリタイアをする資産は一応あるが、色々なしがらみや心理的なハードルから思いきれないでいる半端モノの記録

渡部氏の不倫騒動に思う

渡部氏の会見はあえてみていませんが、一連の報道は完全に「集団いじめ」ですね。

 

報道するマスコミに問題があるのはもちろんですが、マスコミは視聴率が取れるものをやりたいので、結局は観る人がいるというところが一番の問題。多くの人が見たいからマスコミも報道する。こういう報道をすることを批判する人が多ければマスコミも報道しない。

 

集団で寄ってたかって1人の人間に「私刑」を与えるのはいじめの構造そのものではないですか。確かに渡部氏の問題はある。しかしそれはあくまで渡部氏と当人達の問題である(家族、相手の女性)。トイレの使い方が問題であるならがそれはトイレの所有者(区なのか森ビルなのか分からないが)との間の問題である。

 

渡部氏も一般人ではなく芸能人であるので、その行動をマスコミが指摘するのは分かるとしても、それを執拗に一方的に徹底的に批判し続ける、そのしつこさはもはやいじめではないだろうか。

 

普段はメディアもいじめ問題を取り上げ、いじめはいけないと言いながら、それが視聴率を取れると分かれば、自ら率先していじめを展開する。その問題に気づかないのだろうか。

 

また渡部氏が絶対に反論ができないと理解した上で徹底的に批判する点も非常に卑怯ないじめである。反論できない相手をそこまでいじめる必要があるのか?そんな姿を子供たちに見せてもいいのだろうか。子供たちはこれを見れば、相手が悪いと思うなら徹底的に追及してもいいとこの件から学ぶはずである。テレビに出ている立派な大人達が率先してやっているから。

 

不倫が問題というなら、他の人の不倫も同等である。しかしそこには微妙な差別がある。ある人の不倫は報道はするがしつこくは報道せず、渡部氏の不倫は徹底的に批判する。それは渡部氏の不倫は徹底的にたたいても安全だと感じているからだ。視聴者が見方をしているという安心感がある。これは周りの子供がいじめているからそれに加担している子供と構造は同じである。

 

不倫報道は確かに面白い面はある。普段羽振り良く、幸せそうにしている人が不倫で落とされる姿を見るのはスカッとする面もあるだろう。そのように不倫報道を消費するのもどうかと思うが、それでも1回2回の報道ならまだ分からないでもない。それであれば「いじめ」と呼ぶまで入っておらず、「批判」に留まるし、それであれば報道の範囲内であろう。それをしつこく、報道し続け、一方的にいじめる構造はやはり問題である。

 

消費者としてできるのはそういう記事を消費しない、そういう動画を見ない、できれば行き過ぎるメディアに対して批判の声をあげるということだと思う。