「社会を変える」とか言っている起業家の愚かさよ
起業家はバカの一つ覚えのように「社会を変える」とか言っている人が多い。
こういう連中は深い思考に基づいて「社会を変える」と言っている訳ではなく、非常に浅い思考で、人がそう言っているから自分もそういう考えに洗脳されて言っているだけだろう。
本人は意識せず無意識なのかもしれない。また本気で「社会を変える!」とか言っているかもしれない。どちらかだろう。深く考えればそんなことを安易に言えるわけがない。
しかし「お前に社会を変える権利があるのか?」と問いを発すれば何と回答するだろうか?
「便利になるからいいのではないか」「困っている人が助かるからいいのではないか」程度の浅はかな考えしか聞けないことだろう。
ある人が便利になる背後である人は不便になるかもしれない。ある人が幸福になる背後である人が不幸になるかもしれない。
Googleは社会全体を便利にしたのか?それとも不便にしたのか?幸福にしたのか、不幸にしたのか?これは単純に回答できない問題である。
Googleで便利になったと断言する人は自分や周りや、一次的な影響しか視野がいかない人である。
確かに何かを調べるという時はGoogleで便利になった。しかしその一方で過去が消えない問題。嘘をでっち上げられる問題。フェイクニュースの問題。その他様々な問題が発生している。
Googleが自信をもって「俺たちは社会をよくした」というならそれは非常に幼稚な思考である。
社会をある意思を持って変えるというのはある人に幸福をもたらす一方で、ある人に不幸をもたらす可能性がある。そしてそれを計測するのは不可能である。
そもそも幸福を計測するのは不可能だし、1次影響はともかく、その先の二次影響移行は認識すら難しい。
それなのに自分の見える範囲だけを見て「社会を(良い方向に)変えた」と喜んでいる連中がいればそれは非常に愚かで間抜けである。
人が生きてお互いに関わっている限り、社会は勝手に変わっていく。それはどうしようもない。
しかし自分が社会と特定の方向に変えたいというなら、その傲慢さをしっかりと認識すべきである。
そして自身満々に「社会を変える(=良いことをしている)」というのではなく、あくまで自分にとって都合の良い方向に社会を変えたい(自己中心)という気持ちを持つべきである。
僕は「一緒に社会を変えよう」なんて言われたらその時点で興ざめするのだが。その時点でこんな浅はかな思考のやつとは一緒にいることはできないなと思う。
過去にも言われたことはある。言っている本人は決して悪気はない。良い人なのだ。
しかしその浅薄さにウンザリした覚えがある。
起業家に限らず「社会を変える」とかほざくやつはその身勝手さを認識しつつ、「自分にとって良い方向に社会を変えたい。それによって不幸になる人もでるかもしれない」ということを言うべきである。