オリンピックに見る無難な発言
コロナでオリンピックをやる・やらないという議論があるが正直言って良く分からない。
コロナ対策をどうするかという話は分かるが、コロナでオリンピックをやめるという発想がよく分からない。
そういう人は何でもリスクをゼロにしたい人だろう。リスクをゼロにするには死ぬしかない。
死ねばもう死ぬことはないのでリスクはゼロだ。
生きている限り常に死ぬリスクはある。死ぬのはリスクというより必然である。人間は100%死ぬのである。
ただしその時期だけは誰にも分からない。分かっているのは100%死ぬということだけ。これは確か。
家にこもっていたって死ぬよ。そもそも家にこもっていられるのは他の人が外で仕事をしているからだ。家にいる方がリスクが低いと思うなら(僕はそうは思わないけど)、他の人がその人よりも多くのリスクを取っているから、その人の低リスクの生活が保障されていることになる。つまり他の人の犠牲の上で自分の低リスク生活がわるわけだ。
ゼロリスク論者はそういうことが分かっているのだろうか?たぶん分かっていない。
そんなにゼロリスクというなら是非飲まず食わず、家から一歩も出ず、運動不足と栄養失調でゆるやかに死ぬのがよい。
人の生活はゼロリスクでは成り立たない。うまくバランスをとっていかないといけない。
TVやニュースをみていると「オリンピックはやめるべきだ」とか「無観客にすべき」とか、少なくとも「安全が確認できるようにやって欲しい」とかそういうことを言っておけばとりあえずOKという感じがする。
「リスクマネジメントしながら観客を入れてオリンピックをやるべきだ」と言いにくい空気がある。
まぁ僕は別に著名人でも、TVで話すわけでもないので自由に言えるが、コロナでオリンピックを中止せよと言っている連中はバカだと思う。彼らはオリンピック期間は一歩も外に出ず、TVも観ず、ニュースを見ずにボイコットして欲しい。そのくらいの根性でもって主張して欲しいかな。できればリスクを減らすために飲まず食わず。冷房を付けるのもやめてね(他の人が働いて冷房が可能になっているので)。
社会的な立場があると色々と面倒だな。こういう事が言えなくなるので。
お金は十分あってリタイア生活を楽しみつつ、本音を言える環境というのがやはり素晴らしいと思う。変に社会的な立場があると言いたいことも言えなくなりストレスがたまりそう。