エリートサラリーマンは奴隷である
詳しくは省略するが、エリートサラリーマンである福山雅治と電気工務店のおやじであるリリーフランキーが父親像の対比として描かれている。
福山がタワーマンションに住んで、子供を私立小学校に行かせ、妻は専業主婦という姿で描かれていた。これがいかにもつまらないエリートサラリーマン像でびっくりした。
是枝裕和監督もこんな典型的なイメージに囚われず、もうちょっと現実的な姿を描けなかったのかね。この部分で結構興ざめ。映画監督だから仕方がないか。分かっていないのか、それとも分かっているけどステレオタイプ的に描いた方が分かりやすいからそのようにしているのか。
僕のイメージでは大企業のエリートサラリーマンは単なる奴隷である。時間に縛られ、内部評価に縛られ、住宅ローンに縛られ、(殆どの人は)外部に出ることもできないからそれは奴隷と同じ。外部に出れば給与が下がる人の方が大半。つまり一般的に通用する実力を持っているわけではなく、その組織で通用する能力を備えている人達。
給与だって日本の大企業だったらせいぜい1000万円から2000万円程度(もっと少ない人の方が大半)。役員になって数千万円もらったってすでに50代から60代。
それでも中小企業のサラリーマンよりマシかもしれないという気持ちだろう。が、中小企業のサラリーマンの方が平均的な給与は低いかもしれないが、ルールに縛られない分自由だし、実力があればもっと給与をもらっている人もいるだろう。
サラリーマンの世界しか知らないからその世界の中で満足している。飼いならされた家畜のようである。
ただ日本のサラリーマン社会が面白いのは、飼っている方も(経営者)飼われている方もサラリーマンであるという点。本当の飼い主はどこにいるのか?株主である。ただし年金ファンドなどは株主とは言っても受益者が多数いるので飼い主とは言えない。
本当の株主はヘッジファンドのオーナーマネジャーや個人投資家であろう。サラリーマンが頑張って仕事をしてくれるから資本家はリターンを得ることができる。
サラリーマンの中にどっぷりつ浸かっているとこの構造は全く見えないと思う。お金も時間もある世界で自由に生きられる世界というのは知らない人には全く見えてこない世界である。
これは少人数のマイナーな世界なので映画などで典型的な例として挙げても共感されないので、エリートサラリーマンを成功者として描く方が映画としては簡単なんだろうな。