お金を稼ごうと思えばどこかで勝負しないといけない
お金を稼ごうと思えばどこかで勝負をしないといけないのは間違いない。
ここで言うお金を稼ぐというのは、要は平均的な人に比べて圧倒的に稼ぐということ。
圧倒的が2倍なのか10倍なのか100倍なのかそれは人それぞれの目標があってもいい。
仮に2倍でも普通の人の生涯賃金の2倍を稼ごうと思えば平均的な行動をとっていては絶対に実現できない。
1.(平均的な)人より稼ぐということは、(平均的な)人と違うことをするということである。
2.または、(平均的な)人と同じことを(平均的な)人より圧倒的に上手にやるということである。
面倒なので(平均的な)という部分は取るが、人よりxxという時は必ず比較対象がいる。通常はこれが平均的なまたはマジョリティを指す。
当たり前だが人と同じことをしていれば人と同じ結果±誤差でしか結果は得られない。もちろん誤差があるので、たまたま人より大きく儲けられる人も出てくる。ただしそれは幸運であって自分で意図的に実現できるものではない。
さて、上の1と2について考えてみよう。
多くの人はお金を稼ごうとしてまず頭に浮かぶのは2の戦略ではないだろうか?しかしこれは簡単ではない。人の2倍稼ぐために、具体的に平均よりどのくらい優れたことをしないといけないのか明示することは難しいが、相当難しいという実感はある。
例えば上場企業に勤めていて同期の平均給与の2倍稼ごうと思えばどうだろうか?役員になるしかない。役員になれるのは同期で何人だろうか?また役員になったって生涯収入が同期の2倍になるとは思えない。
そう考えると、人と同じことを人より圧倒的に上手く行って2倍以上のお金を稼ぐというのは結構大変であることが分かる。
大学に入るまでは(入ってからもそうか)入学試験を突破してくる。入学試験は人と同じことを人より優れてやる必要がある。子供の頃からこういう発想に慣れ親しむと、やはり人と同じことを人よりうまくやるという発想になりがちだ。しかしそれではせいぜい人よりちょっと稼げる程度でしかない。
同期より少し稼げることは精神的な満足を生むかもしれないが、大きな視点でみれば大差ない。
一方で、差別化の発想が1の発想である。平均的な人と違うことやることで、人よりお金を稼ぐという考え方である。日本の入学試験においては差別化の発想は全く出てこない。だから日本人はこれが苦手だと僕は色々なところで感じてきた。
逆に言うと日本人で差別化の発想を持っていると非常に有利である。なぜなら周りが同質化の発想(同じことをよりよくやるという発想)しかないから、差別化が有利なのだ。
周りのお金持ちを見渡してみるとよい。果たして彼らは平均的な人と同じことやってきた人達だろうか?そうではないだろう。違うことやったから違う結果が生まれたのだ。
もちろん違うことをやって上の結果が生まれるとは限らない。下に違う結果が生まれることもある。しかし一方に非対称な勝負というのはない。勝つか負けるか。負けることがあっても致命的でなければ次の勝負はできる。
そもそもお金を稼ぐという言葉に暗に含まれているのは、人より稼ぐということである。人と同じか人より少なく稼いて、お金を稼いだとは言わない(純粋に稼ぐという意味であれば別だが)。
お金持ちというのは同時代の人よりお金を持っているからお金持ちである。
500年前の人達と比べてれば現代の人の大多数はお金持ちである。しかしそれはお金持ちとは言わない。
また絶対的な意味でお金持ちを使うこともない。1000万円がお金持ちかどうかは常に相対的である。周りが2000万円もっているなら1000万円はお金持ちではない。
途中で話がそれてしまった。
タイトルに戻って考える。
「お金を稼ごうと思えばどこかで勝負しないといけない」
勝負というのは人と違うことをするといことである。
お金を稼ごうと思えば、どこかのタイミングで人と違うことをする(これを勝負と呼ぶ)必要がある。
自分がどの時点でどう勝負してきたか。これはまた別の機会に。